ベルリンで大学に入って良かったなあと思うのは、例えば面白い若いアーティストと友だちになれたり、授業で興味のあるアーティストの講議を直接聞いたり、美術館の普段見られないモノをみれたりする時だったりします。今日は、授業の一貫として、大学時代からとても好きだった、ルイーズ・ブルジョワの大きな展覧会を企画者の人にガイドしてもらうというモノがあり、さっそく参加してきました!
1911年パリ生まれ、もうなんと92才の彼女。もともとはパリで数学、哲学を学び、その後美術に転向し、アメリカ人美術史家と結婚しNYに引越した後に美術活動を始めた遅咲きの作家である彼女。しかし始めたのこそ遅かったけれど、年をとるにつれパワフルに、そして未だに現役のアーティストであり、年をとっても衰えることなき製作意欲をみせる彼女。今回のAkademie der Kuenste という美術館では彼女が20才の時から今まで一日も欠かさず書いているという日記とスケッチを今年から40年代のものまでを網羅し見せています。
私は彼女の作品が前々から好きだったので何度か展覧会を見に行っていますが、彼女の作品は、真っ白い巨大な美術館に展示されると、まるで神のように、神聖にもしくは荘厳にというか、良くも悪くも彼女の世界観が押し迫ってくるようなイメージだったのですが今回の会場は木の床のせいか、明るい窓のせいか、作品の見え方がやわらかく、彼女の世界観がじわりと伝わってくる、展示室中に染み渡っている気がしました。
そのことを企画者に言うと、『まさに私達が今回目指したのはそれなのです。』と言っていました。ちなみにこの展示のサブタイトルは“私は私の作品”。作品でいっぱいの彼女のアトリエ、彼女のアシスタントとの生活、彼女の日記、鏡を見て帽子をかぶり外出する様子までを見せ、伝える。それが今回のテーマだったそうです。
毎週土曜日何十年もの間、一度も欠かさずサタデー・サロンなる催しをアトリエで開き、そこでは決して自分の作品の話をしない。べネツィアで大きな個展が開かれた時も、作品こそ力を注いで磨きあげても、自分自身は着飾ってオープニングパーティに出ることはない。そんな彼女を作品をとおして、伝えたかったのだと言います。


2002作のスケッチ群より。
墨を塗った紙に引っ掻き傷で
描いたスケッチ。

90年代に入ってから製作を始めた、“蜘蛛”シリーズ。長い足の間に細かい糸をはり、守るようでもあり、逆に攻撃するようでもあるこの生き物は“ママン”、ブルジョワの母のイメージ。彼女は自分の子ども時代のトラウマや思い出を製作のイメージソースとしています。
展覧会場入口では、93年BBC製作のドキュメンタリーが流れ、彼女の生活、インタビューを見ることができます。乱暴な父親が自分の家庭教師を愛人とし10年同居していたこと、それは彼女の作品を語る時必ず書かれる話でもあります。
『私の作品はすべて彼女に対して作っているのよ』とブルジョワ。このインタビューの中でもしばしば、男性全体に対するあからさまな反感、かみつくような発言がみられました。インタビュワーの『あなたは男があまり好きじゃないようですね』との質問に『それはあなたの意見よ。あなたがどう思おうと自由だから、じゃあ自分で喋れば良いのよ。鏡を見なさいよ!』と手鏡をカメラに向けてくる彼女。インタビューを無視して電鋸でけたたましい音を立てて小さな木を切り刻んで行きます。ヒステリックにもみえるような彼女の行動が、鋭い痛みのようなものを感じる、作品の表現に重なります。

私は、ブルジョワの作品の中でも“セル”と呼ばれる、牢屋のような、金網の中にインスタレーションをした作品シリーズがとても好きです。好き、というのとはちょっと違うかも知れません。しかし、自分の中にあるどこかに似たような気持ちがあるのを感じるのです。特に日本に居た時には押さえ付けられた女性、歪んだ性、などの表現には非常にリアリティを感じました。でも反面、作品を語るのになぜ、昔のトラウマとか父親との関係がどうとかって必要なのかしらん?と疑問に思う部分もありました。
ドイツに来てから、あまり自分が女性だとか、そのことで差別をされていると言うふうにはほとんど感じなくなり、息が、楽になった感じです。そして作品もそれを伴い軽やかになり、物事をみる“目”が変わってきたと思います。
しかし依然として彼女の作品は心に響いてくるものでした。フェミニズムがどうとか、彼女のトラウマがどうとかいうことはまったく抜きにして、ただ身体の喪失感、パースペクティブの無さ、不安、ヒステリックな気持ちと美しさ。それがぴりぴりと伝わってきました。金網が、鏡が、細い足が、そこにある切り取られた空間が語りかけてきたのです。
企画者の人と大学の教授に最後に感想を聞かれ、今と昔で作品の見え方が違うことを話したのですが『それはこの美術館での見せ方にもよるかもしれないし、あなたの今の立場にもよるかもしれない。ルイーズ・ブルジョワがアメリカに来て、自分のアインデンティティーを見直すきっかけを掴んだように、あなたも今の立場からそういう製作ができるのでは?ぜひ機会があったら作品を見せて下さい。』と製作を促すように言われ、なんだか感激しました。
“私は私の作品”という言葉は、自分のアイデンティティーを自分の生活をすべて反映させ作品に込めているようにも解釈できるけれど、逆に、何十年も生きてきた自分がつくり出すものが、ただ、自分を表している、という風にもとれる気がして、ちょっと気楽になりました。一時期、日本的な作品を作ることへの葛藤、疑問などにさいなまされていたのですが、それもすっきりし、なんにしろ、作っていくことが、そして自分に妥協をしないで作品と向き合うことが大事なのではないか、と思い、アイディアがたくさん湧いてきて、わくわくしながら家に帰ってきたのでした・・・・。

セルシリーズの1つ。
RUNNAWAY
98〜99年の作。
彼女は製作に使う服には
必ず一度腕を通すと言う。
淡いピンクが
肉肉しさを感じさせ過ぎず、

しかし空虚で美しい。




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